映画オモシロが前提!(しもふりチューブ観ながら書いてるので粗品さんつっこみ風)
先日ネタバレなしの感想記事を書いたのですが…。
ネタバレなし縛りだと書けることに限りがありすぎた!
ということでゴリゴリにネタバレしながら、なぜ面白かったのか、もう一度劇場版鬼滅の刃を振り返ります。
まだネタバレ知りたくない方は、ブラウザバックをお願いします!(テキストサイト全盛期の表現!粗品さんその2)
まず前提として、僕はアニメ全話は観ていましたが、原作は未読なので映画のストーリは知らない状態でした。
ただ予告編だったりCMが自然と目に入っていたので、なんとなくこんな展開なんだろうなーという予想のはありました。
鬼舞辻無惨の血をもらった鬼が血鬼術でみんなを眠らせるんだろうなーと。
炭治郎はその夢で生きてる家族と再会するけど、それが夢だと気付いて後ろ髪惹かれながらも現実に戻って鬼を倒すんだろうなーと。
で、もっと強い鬼が出てきて、煉獄さんが相手するんだけど、煉獄さんやられちゃうんだろうなーと。
劇場に足を運んだ結果、僕の予想はおおむね当たっていました。
予想外だったのはそれでも面白くて、最後はおもわず泣いちゃったことです。
年齢で涙腺が緩んでるだけでは説明できない何かが、この映画にはあった。ということで、この映画が傑作になった理由を3つ考えてみました。
無駄な説明がない
劇場版にありがちな設定や登場人物の説明が一切ない。完全にアニメ観てる前提で、アニメの続きを劇場でやってる。
知ってる前提のレベルでいったら、ドラえもんやクレヨンしんちゃんと同レベル。
それぞれの登場人物の関係性に一切の説明がないし、禰豆子も説明ゼロで箱から出てきたし。
だからテンポが良い。
あと肩ひじ張らずに観られるっていうのもあったんじゃないかと思います。登場人物の説明とかいれていたら、観る側も身構えちゃいます。それがないから、アニメの延長でスッと入っていけて、より楽しめたっていうのがあると思います。
多くの人が共感できる普遍的なテーマ
原作におけるテーマって「家族愛」「命の尊さ」「炭治郎の成長」あたりだと思います。
この映画ではそのテーマがベースにはありつつも、「人間の弱さ」をテーマにしたストーリーだったと考えています。その弱さは2つにわけられて、「心の弱さ」と「肉体的な弱さ」です。
「物語は誰かが何かを乗り越える話」と、どこかでどなたかが言っていたのですが、これもまさしく「心の弱さと肉体的な弱さを炭次郎たちが乗り越える」話でした。
一人目の鬼、魘夢(えんむ)は夢を見させる血鬼術を使い、その人が望む夢を見させて戦闘不能にしていました。また、「望む夢を見させる」誘惑で、人間の子どもや車掌に人喰いの手伝いをさせていました。
炭治郎の見た夢は、今は亡き家族が生きている世界でした。
それが夢であることに気づいた炭次郎は、早く目覚めなければと思いながらもずっとこの夢の中にいたいと葛藤します。それでも自分の使命を果たすために、夢の中で自害をして現実世界に戻ってきます。
夢見たさに鬼に協力した人たちや、夢から醒めたくないと思う炭次郎は、心の弱さを象徴していました。
炭次郎は心の弱さを乗り越えて目を醒まし、魘夢に勝つ事が出来ました。
「あの頃に戻りたい」とか「今がずっと続けば良いのに」という感情を、誰でも一度は持ったことがあると思います。
その気持ちがありながらも今生きているということは、その想いを乗り越えた、もしくは乗り越えようとしている証拠であり、乗り越えるには少なからず悲しみ、痛みがあるはずです。
自害をして(痛みを伴って)現実の鬼に立ち向かう炭次郎と自分を重ねて、観客は共感しているのだと思います。
魘夢を倒しても、心の弱さを乗り越えても、話は終わりません。
上弦の鬼、猗窩座(あかざ)が突如現れ、主人公たちに「人間の肉体的な弱さ」をつきつけます。
猗窩座は柱の煉獄に対して、人間であるゆえに至高の強さには辿り着けないと評し、不老不死の鬼になることを勧めます。
煉獄はその申し出を断り、「肉体的な弱さ」を乗り越えるために、鬼・猗窩座と人間・煉獄との戦いが始まります。
類を見ない衝撃的な結末
ここがこの映画を涙必至にさせるキモの部分だと思います。
煉獄がやられて、 猗窩座が逃げ延びるなんて一切想像していませんでした。観る前は相打ち8割、奇跡的に生き返るが2割くらいかなと個人的には考えていました。
何度も攻撃してもすぐに回復してしまう猗窩座。一方、徐々にダメージが蓄積していく煉獄。観客もその時が近づいてくるのを感じます。
すでに瀕死状態で煉獄は最終奥義を出すも、猗窩座に急所をかわされ、逆にカウンターで煉獄は致命傷を負ってしまいます。
もうこの時点で悲しくて辛くて泣いちゃってます。
そこから相打ちするために猗窩座に朝日を浴びせようとしますが、なんと、ギリギリの所で猗窩座は逃げ延びてしまいます。
もう嘘だろと。この展開は衝撃的すぎました。「肉体的な弱さを乗り越える」はずだったのに、負け…乗り越えられないなんてそんなんあるか、と。
炭次郎が心の弱さを乗り越えたみたいに、肉体的な弱さを乗り越える姿を見せてくれるはずだったんちゃうんか、と。
もう手の施しようのない煉獄、逃げ延びる猗窩座。気持ちの整理がつきませんでした。
しかし炭次郎が手負いながら立ち上がり、刀を投げつけ、「煉獄さんは勝ったんだ」と叫ぶわけです。
この勝負で煉獄は死んでしまうわけですが、炭次郎の叫び(煉獄さんが勝ったという解釈)のおかげで、物語が「肉体的な弱さ」を乗り越えた事に観客は気付くんです。
鬼になることを拒み、乗客を守り切った煉獄。不老不死になることで弱さを乗り越えるのではなく、弱さを受け入れ、限りある中精一杯生きることで乗り越えたのです。
このシーンは、世代が上の人ほど刺さったんじゃないかなと勝手に思っています。年を取る頃に老いは実感してくるでしょうから、そこを受け入れ、肯定した炭次郎と煉獄により共感できるのではないでしょうか。僕が30年後見直したらもっと泣いちゃう。
最後の炭次郎と煉獄の会話も、もちろんグッとくるシーンですが、それもこの展開あってこそだと思っています。
しかし凄い結末でした。
千と千尋の神隠しだったら、両親をブタに戻せないエンディングや元の世界に戻れないエンディングなんて作れないですからね。その映画内で話を完結させないといけないから。
ドラえもんやクレヨンしんちゃんも同じです。物語を解決させて、日常に戻さないといけないんです。
でも鬼滅の刃はその制限がなかった。ここで物語を解決させなくてよかったんです。シリーズ物のハリー・ポッターだって、毎回エンディングは大円満で終わります。
だから映画としては類を見ない結末だったと感じました。
長々と書いてきましたどうでしょうか。共感してもらえたら嬉しいのですが。
続きのシーズン2はほぼ間違いなく作られるので、次回作も楽しみです。キミの心に、全集中!
それじゃまた