「 いやお前誰やねん!」と言われそうなタイトルですが、もちろん僕がM-1優勝を目指しているわけではありません。
でもひいきの芸人さんがM-1の準決勝、準々決勝で敗退してしまったり、決勝でめちゃくちゃ面白かったのに審査員の評価がイマイチだったりするじゃないですか。
そんなモヤモヤをすっきりさせてくれたのが この本。
ナイツ塙さんの「言い訳」。
出場者としてM-1に挑戦して優勝を逃しながらも、今審査員席に座っているナイツ塙さんだからこそ書ける視点のM-1解説本です。
M-1は2001年の第1回から休止期間を経て2019年の第15回まで15組のチャンピオンを生み出しています。
しかし、その内ほとんどが関西出身で吉本所属の芸人なんです。
なぜ非吉本芸人(吉本以外に所属している芸人)で関西以外の芸人(関西弁以外を使う芸人)はM-1で優勝出来ないのか。
この理由としては、単純に「関西出身の吉本芸人」の母数が大きく、劇場がたくさんあって若手も場数をたくさん踏める環境が整っているののあります。
ただ塙さんは、それだけではなく「M-1が吉本興業主催のグランプリであるため、審査基準が吉本的な価値観の影響を受けている(ひいきがあるという意味ではなく)。そして吉本的な価値観の漫才は関西弁の方が表現しやすい」事を理由として挙げています。
(本当はもっと細かく丁寧に理由を書いているのですが、僕の解釈でざっくりと説明させてもらいました)
塙さんはそれを否定してるわけではありません。
まず、その条件であることを理解しようと言っているのです。
じゃあ非関西の芸人さんはどうすれば良いのか。
関西弁を勉強して、上方的なしゃべくり漫才を目指すべきなのか?
そんなん出来へんやん。
人には生まれて育っていく間に育まれた話し方やテンポ感があります。
それを変えてネタをやっても、無理してるのが伝わってしまったらウケないし、ナチュラルに出来る人には絶対勝てない。
何よりその人がそのネタをする意味がなくなってしまう。
自分の個性を上手く引き出して、その人が話すからこそ面白い漫才を目指すべきなのです。
目指して行きついた結果、それが「M-1向き」でなかったとしても、それは仕方がない事です。
配られたカードで勝負するしかない、というやつですね。
M-1はあくまで、数あるコンテストの中のひとつです。漫才はM-1が全てではありません。
芸人の成功はM-1に優勝することだけじゃないし、優勝していなくても面白い人たちはたくさんいます。
ショーレースである以上優勝は目指すべきですが、それが全てではない。
この本は塙さんの「言い訳」でありながら、非関西系の芸人に対する「叱咤激励」「慰め」でもありました。
それじゃまた
- 発売日: 2019/01/30
- メディア: Prime Video
- この商品を含むブログを見る